子育てするのと自分がお金持ちになるのは背反する目標ではない

ライフ&マネー

本ブログの2大テーマである“子育て“と“お金持ち“。一人の子供を養育するのに1600万円必要だと言われるこの時代、愛情をもって子育てするのと自分が金持ちになるという二つの目標は矛盾していますか?同時に達成することは絶対できないのでしょうか。いや、目指してもよいはずだという論をつらつら述べたいと思います。

ロバートキヨサキの言葉

ロバートキヨサキの著作、金持ち父さん貧乏父さんの冒頭導入部で、ロバート本人の実の父である貧乏父さんと、友人の父の金持ち父さん、2人の考えの対比が描かれている部分にこうあります。

One dad said, “The reason I’m not rich is because I have you kids.” The other said, “The reason I must be rich is because I have you kids.”

一人の父は言った「私が金持ちになれない理由は君たちがいるからだよ、子供達」。違う方の父は言った「私が金持ちにならなきゃならない理由はお前たちがいるからさ、子供達」。

Rich Dad Poor Dad, Robert T. Kiyosaki

前者が貧乏父さん、後者が金持ち父さんの言葉です。貧乏父さんの言葉は、ロバート本人が直接聞いたのでしょう。

私は自分の子供に対し「お前たちがいたせいで金持ちになれなかった」とは絶対に言いたくありません。

本田健の言葉

本田健の著作がどこかは忘れてしまったのですがこのような一節を記憶しています。

お金自体が悪なのではない、お金が不足するということが悪なのだ

本田健

お金に対する思い込みや過去の価値観を捨てる、という文脈の一節でした。

二宮尊徳、水車の教え

二宮翁夜話、巻之一の早々に出てくるこの水車の教えは人類に残すべき叡智だと思っています。鬼滅の刃、水の呼吸どころじゃありません!

翁曰、それ人道は譬(たとへ)ば、水車の如し。その形半分は水流に順(したが)ひ、半分は水流に逆(さか)ふて輪廻す。丸に水中に入れば廻らずして流るべし、又水を離るれば廻る事あるべからず。それ佛家に所謂知識の如く、世を離れ欲を捨たるは、譬ば水車の水を離れたるが如し。又凡欲の教義も聞かず義務もしらず私欲一偏に著(ちゃく)するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し。共に社会の用をなさず。故に人道は中庸を尊(たふと)む。水車の中庸は、宜き程に水中に入て、半分は水に順ひ、半分は、流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。人の道もその如く天理に順ひて種を蒔き、天理に逆ふて草を取り、欲に随(したがひ)て家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり

二宮翁夜話 福住正兄筆記 佐々井信太郎校訂 岩波書店

人が男女仲良くなるのは自然です。子供を産むのも自然です。自然はあるがままの世界、天道ということです。でもそこから一生懸命に働く、一生懸命節約する、一生懸命に豊かになる、というのは人道であり生きる道です。

二宮尊徳は“天道“と“人道“は違うものだとはっきり区別します。

善と悪という価値を決めるのは人道です。人が生きる道として正しければ、自然でなくともそれでよいのです。本田健のいうようにお金が不足してしまうのは悪です。人道にそぐわないことです。怠惰に日々を過ごすのは一見自然なように見えますが、人道には背いています。

一生懸命働き、節約し、豊かになり、愛情をもって子育てする、これは正しい道であり努力するに値する生き方です。

結論

  • 愛情があればこそ、子供に対し「お前たちのせいで私は金持ちになれなかった」などと絶対に言いたくはありません。
  • 人は努力し変わっていくことができます。
  • 一生懸命働き、節約し、お金を生かす勉強をし、豊かになる、ということは正しい努力であり悪ではありません。お金が不足してしまうことの方が悪です。子供が本当に必要としているモノや環境を買ってあげられないことの方が悪です。
  • 正しい方向に努力し豊かになることができれば、経済的自由に近づき、より愛情をもって子育てができるはずです。

ゆえに私は、愛情をもって子育てをするのと、自分が一生懸命学び経済的に豊かになる、という二つの道は正しく価値があり最後には一つになるものだと捉え実践を続けていきます。

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